こんにちは。
プラザセレクト代表の三谷浩之です。

私が考える人間という動物についての話です。学問的には知りませんが私がこうだろうと思う考えです。私を含め生きていると外部から様々な影響を受けます。ボーッとしていても目や耳は光や音を関知して、それに応じて脳や体が自動で反応しています。そして自分の意識できるレベルで言えば、その反射的反応に対して心が何かの感情を感じたりします。「まぶしい」「うるさい」「好き」「嫌い」「嬉しい」「楽しい」「不安」「怖い」などなど。その感情によって、楽しそうな方に動いたり、自己防衛するために動いたり、自分にとって何かしらの基準で行動方法の選択をして体を動かしているわけです。
そのような背景から、私は「人間とは、全て解釈次第の生き物だ」と捉えています。物事の全ては、ある事象に対して各個人が勝手にこうだと解釈しているにすぎないのです。
例えば、
「雨が降っている」(ある事象)に対して、「濡れるの嫌だ」(解釈)
「雨が降っている」(ある事象)に対して、「練習が休みになるから嬉しい」(解釈)
「雨が降っている」(ある事象)に対して、「いい天気だ!」(解釈)
こういうことです。
事象に対して全て勝手にその人が解釈しているだけです。特に一番下の解釈は、一般的に日本人は「晴れ」(ある事象)に対して、「いい天気」(解釈)として捉えます。しかし「いい天気」の定義はありません。『いい天気=晴れ』ではないのです。それは思い込みです。晴れの日に「今日はいい天気だなぁ」と小さいころからよく耳にしていたから思い込みによってそう解釈しているのです。もしあなたが砂漠の真ん中にいて、水がなく意識朦朧としていた時に、どしゃ降りの雨が降ったら「いい天気=豪雨」の構図が成り立つはずです。
こういうことを日頃から理解しておく必要があると思います。

『事実は一つ、解釈は無限』

コップに水が半分入っていて、「まだ半分もある」と解釈するか、「もう半分しかない」と解釈するか。前者のような解釈ができる人の方が、物事を前向きに捉え豊かな心が育めるはずです。(実はこれ自体もそういう解釈なのですが・・)
生きていたら自分の意思に反して発生する様々な事実と事象。しかし解釈は自分で決められます。目の前に起きている全ては解釈次第でどうとでもとれます。自分次第で受け止め方を変えられるのならば、なるべく前向きに楽しく未来を信じたほうが毎日に笑顔が生まれます。そんな風に解釈できる脳の習慣を身に着ける努力は、物事をうまく進めるために最も有益な努力。日々の中で嘆いたり、不安を感じたりするよりも、何が起きても前向きに、楽しく解釈するほうを私はお勧めします。
自分でコントロールできない事に気を取られるより、自分でコントロールできるところに全力を注いでいこう!!